皆さま、こんばんは。
このような辺境まで、お越し頂き、ありがとうございます。

水星の魔女にかまけてこの期のアニメは見逃していたのですが、割と話題だった「ぼっち・ざ・ろっく!」を皆さんはもうご覧になったでしょうか?

私は先ほど見て来たのですが、面白かった!
アニメ的な面白さもあったのですが、個人的には音楽の方向で楽しめました。

多分、これから語ることは他の所でも言われているとは思いますし、1周遅れ位の話しかしませんが、お暇でしたらどうぞです。

【注意】

今回はネタバレが入ってますので、まだ未視聴の方は、回れ右推奨です。
またあくまで、私の感じたところを書きなぐったものなので、参考程度にお願いしますね。
なお、私はアニメ視聴のみですので、浅い感想となりますがそれでも良い方はお進みください。

ぼっち・ざ・ろっく!と、感想

まずは、知らない方は公式のページをどうぞ。

※以下公式からの引用です
”ぼっちちゃん”こと後藤ひとりは会話の頭に必ず「あっ」って付けてしまう極度の人見知りで陰キャな少女。

そんな自分でも輝けそうなバンド活動に憧れギターを始めるも友達がいないため、
一人で毎日6時間ギターを弾く中学時代を過ごすことに。

上手くなったギターの演奏動画を”ギターヒーロー”としてネットに投稿したり……
と言う感じで冒頭がスタートする本作ですが、万人受けはしないだろうなぁと言うのが最初の感想でした。
個人的には、ぼっちちゃんのオタク&ボッチ気質が好ましいのですが、イラっと来る人もいらっしゃる極端なキャラ付けなのも事実だろうなぁと言う印象です。

同じオタクの方向性としてはウマ娘のアグネスデジタルが思い当たります。
彼女の様にもう少しはっちゃけた方向性ならまだ良かったのでしょうが、ぼっちちゃんは、割とあざとい上に欲にまみれているので、その辺りが違いますね。

誤解されないように申し上げますが、私は好きです。
とても、本当にとても人間らしい! 実に人間です。
何より、割とそういう自分を客観視して理解しているところにめっちゃ好感が持てます

他のキャラも癖の強い感じですが、それぞれに良いところと残念なところが際立っているので、この描き方がとても旨いなと思いながら楽しみました。

で、それだけなら私はこの記事を多分、書いてないんですよね。
しかし、楽しんでみて、びっくり。

私にとって、この作品のこだわりがとても好ましいものでした。

個人的な見どころ それは ぼっち・ざ・ろっく!

何を書いているんだ? こいつは? と思われるでしょうが、私としてはそうとしか書きようがないです。

では、それはなんでしょうか? 早速、語っていきますね。

まず、この作品の題名が全てを表していると私は感じました。

私にとって、これは「ぼっちちゃん」のロックな物語なんですよね。
話が進むごとにドンドン状況が変化していくのですが、その辺りも含めて、このアニメ範囲においては、ぼっちちゃんの物語です。

気付いている方は言うまでもない事ですが、アニメの表面だけを見ると、そうでもないと感じるでしょうが、何だかんだで凄い勢いで何もかもがぼっちちゃんの世界なんですよ。

私が何でそう感じるか?

それは、この作品のほぼ全てがバンドシーンに詰まっていると思っているからです。

ぼっちは、そこにいる(イヤホン推奨)

ぼっちちゃんと言えば、絵的にいつも下を向いていますよね。
それはバンドシーンでもそうなんですけど、もし絵を中心にみられている方は、ぼっちちゃんらしいなぁで終わっちゃう話です。

しかし、音に耳をすませた時、この作品の本気がここにあるとよくわかります。

まず、前提条件ですが、ぼっちちゃんは、いつもそこにいます(何
具体的には右耳に張り付いて離れません

それはぼっちちゃんが立っている位置であり、私達が観客としてそこにいた時に聞こえてくる位置です。

それが大前提としてあるという事をまずは覚えておいてください。

ぼっちちゃんが心を燃やした第8話の台風のライブを見た方は、お気づきだったでしょうか?
最初の「ギターと孤独と蒼い惑星」を演奏した時、気持ち悪いと感じた方はいらっしゃいますか?
実は、ドラムは走るし、全体的に微妙にずれていて、ボーカルもちょっと微妙な声で、凄く質を落とした演奏だったんですよね。聞こえる人はわかると思います。

って言うか、そこまで作るんだ、凄いなぁとここでビビりました。

その後、ぼっちちゃんが、奮起して「あの、バンド」を引くわけですが……

ここで否応なしに、3人のメンバー喜多ちゃんがぼっちちゃんの真価に気づくわけです。

で、ここが凄いところなのですが……作中では、完成形じゃないんですよね、これ。
何故なら、この時点で、ぼっちちゃんに完璧にはついていけてないんですよ。

と言う訳で、完成形です。リョウ先輩が、ぼっちちゃんについていって、タメを貼るバージョンです。
大盤振る舞いにも、公式でちゃんと用意してくれてます。
ベースの響きが、ぼっちちゃんに負けてない!

そして、その技量とか熱量とか心情とか、そういうものを作中で上手く調整して流してます。
しかし、どの曲でも、ぼっちちゃんはそこで常に弾いています。

もうお分かりですね? ぼっちちゃんは、どの曲でも常に、そこにいるんです。

では、次は、ドラムスの伊地知虹夏先輩の曲です。

今度は、ドラムスの知虹夏先輩と補い合ってますね。
先輩の明るさと優しさがはじける様な、とても良い曲だと思います。
これが流れたのが、最終話ですが、その場面まで練習を積み重ねた状態で完成するレベルという一面もあるんでしょうね。

ちなみに、最終話で喜多ちゃんの「何回だって」の笑顔でやられた人も多いんじゃないかなー(←やられた人

で、あざといながら全てを浄化する、きた~んこと、喜多郁代ちゃんです。

ボーカルの彼女ですが、ギターを一生懸命練習してきて、最終話でこの曲です。

実は、他の曲だと若干、存在感が薄いんですよね、彼女のギター。
彼女は左にいるんですが、曲によっては殆ど存在感がありません。

そんな中で、ぼっちちゃんとタメを張って何とか張り合うのがこの曲です。
しかし、右からの圧が凄いんですよ、これが。
ベースとドラムスで支えて、喜多ちゃんも頑張って支えて、そして成り立ってます。

さて、3人の曲をそれぞれご紹介してきましたが、もうお分かりですね?

ぼっちちゃん、圧が強すぎるんですよ。
それこそバランスがぶっ壊れかねないレベルで。

しかし、それ故に回りがそれを包んで支えて、ようやく一つの曲になるんです。

ぼっちちゃんは、常にぼっちです。ちなみに下の動画は完成形です。

それは、この作品中でもずっとそうで、ぼっちちゃんが楽しく引いているのを皆で支えて見守っています。
特に最終話の文化祭ライブ2曲の皆の視線を追ってみて下さい。

皆、ぼっちちゃんを気にして上手くフォローしています。

彼女の真価を見た後、3人は彼女を支えつつ曲を完成するように作り上げてるんですよね。

ぼっちちゃんは、ぼっちでありながら、ぼっちじゃないという、まさに、ぼっち・ざ・ろっくを体現してると感じました。

そして、彼女を生かすために3人が心を合わせた結果、ぼっちちゃんも最終話で初めて、バンドメンバーを見て演奏するようになります。

そういう成長や心の変化がさりげなくバンドシーンに全て詰め込まれていました。

私としては、それを曲でやるかー。ここまで尖った表現を使うかー、やるな!と言う感じです。
楽器の一つ一つから各々の個性を読み取れるって言うのも面白い試みだと思います。

と言う感じで、浅い感想でファンの皆様には申し訳ないのですが、流石に、この文量をツイッターで語るには無理だったので記事として書かさせていただきました。

もし気になった方は、是非、ご覧になってみて下さいな。
私はU-NEXTで楽しんでおりますが、どの配信サービスでも見られるんじゃないかなと。

この機会に、ぼっちちゃんの演奏も含めて結束バンドの成長を楽しんでみて下さいね。

今回の記事は以上になります。
お読み頂き、ありがとうございました。

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