皆さま、こんばんは。
このような辺境まで、お越し頂き、ありがとうございます。

折角来て頂いたのに、申し訳ございません……今回は愚痴だらけの記事です。

いやー、ちょっとリアルで疲れている状態もあって、完全に八つ当たりなのですが……
吐き出し口が欲しかったので、ここに書かせて頂きたいと思います。

※注意
今回の記事は、あくまで個人的な見解であり私見です。
多くが社会に対しての愚痴の様な物なので、面白い物では無いです。
批判的な意見等、一部感情的な部分もありますので、引きずられそうな方はお戻りください。

以上を踏まえた上で、自己責任(便利な言葉だなー)にてお進みください。
忠告は致しましたよ? ふっふっふ。

日産・神戸製鋼問題から見る日本の産業崩壊

モノづくり大国日本。

そんな言葉が、空しい響きに感じられる時代がやって来た様に感じます。
もう、そんな輝かしい時代はとっくに終わってしまいました。

そうなる事は、約20年前から既に確定していた事だったので、私としてはあまり驚かない訳ですが。

ただ、そんな社会になるという事を止められなかった事実、
そんな社会を若い方に押し付けてしまった事は、
一人のおっさんとして、本当に申し訳ないと思っております。

何でこんなことになっちゃったんだろうね?

そう思っている方も、いらっしゃるのかもしれませんが、なるべくしてなってます。

正規雇用縮小・派遣法が全ての地盤を作った

バブル崩壊から、リーマンショックを経て、今に至るまで、本当に大変な時代を何とか生き抜いてきたおっさん世代の皆様、本当にお疲れ様です。

これは経験しているおっさん世代でないと分からない苦労だとは思いますが、本当に酷い時代でした。
全てが初めての経験で、文字通り私達の世代は、時代の波に翻弄されたと思っております。

2000年代に入って、正規雇用は縮小され小泉人気を背景に、派遣法が堂々と改正されました。
素人考えですけど、恐らく、経験した事の無い不景気に見舞われた経済界からの強い要請で、そうなったんでしょうかね。

結果として、企業側から見たら安い労働力を得る機会が増えた訳です。

つまり、不景気の時代を、労働対価を大幅に縮小する事で乗り切ろうとしたんですね。
そして、その裏で、多くの正規雇用の労働力がリストラされ、野に下りました。

今の若い方からすると、「どうせ使えないおっさんの首をきっただけだろ?」と見えるかもしれません。

勿論、リストラされた方の中には、そういう方もいらっしゃったかもしれません。
ただ、ここで注意して戴きたいのですが……
それは、あくまで企業側から見て利益の薄い人材という点と、実は希望退職者も多かったという点です。

その当時は特に年功序列型の雇用体系が一般的で、管理職や要職の方々は、高齢の方が多かったのです。
今もその傾向はあると思いますが、実際の所は、どうなんでしょうかね?

で、そんな時に、リストラ・希望退職者を大量に出そうとすると……企業側としては報酬が多い上の方をザックリと行く所もあった訳です。
また、志しの強い方は、会社の為にと自分から身を引く事もあったのではないでしょうか。

結果として、大量のリストラ・早期退職者を出した事で、今迄の形で業務を続ける事が困難になりました。
また、いっぺんに人材が流出したことで、労働力が激減しました。
結果として、しわ寄せは全て残った正規社員に向かい、労働環境が一気に悪化したのです。

更に、人材の流出は、ノウハウや慣例の喪失と言う最悪の事態を引き起こしました。
幾ら引継ぎを行おうが、マニュアル化しようが、その人の持っている経験、人脈の全てが引き継げるわけがありません。

しかも、本来、それらの経験と言うのは、下に付く部下が長い時間をかけて、教わり受け継いで行くものです。
一緒に業務をこなす中で、対処法を学び、注意点を伝え、それでも痛い目を見て、先輩にフォローして貰う。
そういう形が、一般的でしたし、一見、遠回りに見えて確実だったと思うのです。
特に生産業ではその傾向が顕著でしょうし、引継ぎと言う概念すら希薄な中小企業も多かったのでは無いでしょうか?

見過ごされた人間関係の価値

更にこの事は、数値化できない影響かと思いますが……
多くの社員を強制的に引っこ抜いて辞めさせたことで、上から下に流れる様に構築されていた人間関係を、完膚なきまでにズタズタに引き裂きました。

また、業種や業界を越えて、個人で緩くつながっていた関係が、大量の人員削減によって根こそぎ寸断されたのです。

これは、特に当時、前線で働いていた方は身をもって知っている事かと思います。

相談できる相手が突如いなくなり、今迄、阿吽の呼吸で出来ていた事が通じなくなりました。
規則とマニュアル化によって、融通の利かない機械のような関係性になった結果、生産性が大きく落ちます。

ついでに、いつも同じ様な作業で何度も、時間を取られます。

特に教育が最たるもので、折角、仕事を覚え、職場に馴染んで来た派遣やパートさんは、その待遇が保証されていない為、ある日突然いなくなることになります。

その結果、また教育のやり直し。勿論、それを行うのは、いつも業務を大量に抱える正社員。
結果、教育したけど、いなくなり……を何度か繰り返し、最終的に教育そのものがおざなりになる始末。

そして、教育出来ない状態なので、正社員の業務は一向に減らない。
そんな現場を私も良く見てきました。

ある現場では、正社員に変わって派遣さんが頑張って仕切っていたのですが……
3年縛りで解雇され、突然いなくなりました。

恐らく、派遣さん本人も寝耳に水だったのでしょうね。
勿論、丸投げしていた正社員さんは現場を把握しておらず、プロジェクトは炎上。
こんな感じで業務の大事な所を派遣さんに任せる事になると、このような事は何処でも起こります。

結局のところ、人が繋いでいるのは人なんです。
それを引っこ抜けば、そりゃそうなるよね、と言う典型的なお話。

結果として、不況のあおりをもろに受けて、体力のない中小企業は倒産し、生き残った企業も労働者の空洞化による過剰労働とノウハウの消失で、技術の継承が上手く行われなかったのだと思います。

また失われた正規労働者の代わりとして期待された派遣労働者ですが……

基本的に、派遣社員は正規社員と同じ仕事ができませんでした。と言うかしてはいけません。
正規社員の指示の下で、業務行う建前になっていたので、それは結果として、先程も書いた通り正規社員の負荷を上げる要因となりました。

元々、満足に技術継承を受けていない正規社員。

そして、そこに更に派遣社員の管理業務が追加され、完全にオーバーワーク状態が続きます。
しかし、その状態で企業側は以前のような業績を求めてしまうわけですよね。

その辻褄合わせとして、質が蔑ろにされる事態となります。
現場としては、とにかく、目の前の仕事をどうにかしてこなす事だけに必死になります。
いや、まぁ、そりゃそうだよなぁと。

だから、日産や神戸製鋼のような事になるんです。

そして、それは日本の企業のどこでも行われている事だと私は思っています。

いや、ウチの会社は罰則を厳しくしているから大丈夫!
とか言う所もあるかもしれませんけど……それが却って危機を招いている可能性も。

結局のところ、判断し決断するのはあくまで人なので……
現場の方が、「上から言われているけどもう無理」ってなったら、改ざんしますよ。

それが例え、バレたら大変な事になると分かっていても、今の生活を守る為なら個人でやりますよ。

だって今の様に、上も下も繋がりの薄い会社の中で、会社の事を親身になって考えて働く社員とか、もうほとんどいないんですから。

我々の世代は、目の前で、斬首され追放されていく同胞たちを見てきてるんですよ。
それでも安心して会社に忠誠を誓えとか、寝言は本当に永眠してから言って欲しいですわ。
おっと、毒が思わず。

むしろ、会社に愛を持って働いてくれる社員がいる所は、幸せかと思います。
是非、大切にしてあげて下さい。そして社員から愛される会社が増えてくれれば、世の中も良くなると思います。

価値観の急速な変貌 個人主義時代の到来

会社と労働者の関係性が変質し、派遣やパート等の非正規雇用が増えるに従い、急速に個人主義が広まっていくことになります。

個人主義とは、社会よりも個人の権利を重視する考え方の事です。

飲み会に行きたくないから、行かない。
定時で帰りたいから、残業しないで帰る。仕事? 知らん。
私用の為(イベントとか遊戯)に、会議サボって有給使って仕事を休む。

ちょっとあえて悪い感じに書いてしまいましたが、こういう傾向です。
今の若い方には、結構当たり前の様に感じられるでしょうが、つい20年前まで、そんな事は無かったんです。

個人の意思は会社の為に、社会の為に、多少は犠牲になっても仕方ない。
そういう風潮が、確かにありました。

今の人からすれば、ふざけるなと言う風潮だと思います。

私も、行き過ぎた状態ではあったと思っていましたので、個人主義に傾いたのは、良い事かと思っております。
ですが、傾き過ぎた結果、現在は、個人の権利だけを振りかざす人が増えているのも事実です。

今の若い方に物申す

友人や昔の会社の同僚から良く聞く話として、
自分の非を認められない新社会人が多い」と言う物があります。

基本的には、論調は同じ傾向であるらしく、
決まって「上司・先輩が教えてくれなかった」、だから失敗した・出来なかったという物らしいです。

おっさんとしては、いいなぁと言う感想。
そんな言い訳が通用する会社に私も務めたかったですわ。無いと思うけど。

ちなみに、おっさん達の時代は、以下の様な意識が非常に強かったんです。

会社に働かせて貰っているので、新人は仕事で積極的に学ぶ。
仕事がある程度できるようになるまでは、会社の方針に従い、個人の権利を抑制する。
つまり、給料を得て、経験を積ませてもらうと言う考え方です。

今の世の中は逆なんですよね。

会社が、社員を養うのは当たり前で、個人の権利が尊重されてしかるべき。
つまり会社は給料を得る場であって、個人の時間を使う場所ではないと言う考えです。

なんて両極端な……。正に正反対です。
これが、たった20年の間に起こった価値変動なのです。

もし、この記事を読んで下さった方の中に、
最近の若者は・おっさんは……と言う方が居ましたら、この価値観の違いが、すれ違いの原因の一つだと頭に入れておくと幸せになれるかもしれません。

ただ、現実問題として、いくら個人の権利を意識されたとしても、世の中はそれに着いてきていません。

実際、入ったばかりの新人に会社の重要な業務を任せるのは、難しいです。
と言うか、新人はぶっちゃけお荷物以外の何物でもありません。それは事実です。

ある程度業務を覚えて、社会人としての立ち振る舞いを覚え、
そして、漸く、社会の一員として迎えられるくらいには、手間のかかる存在なのですよ。
勿論、それは、ゆくゆくは会社の一員として頑張ってほしいと言う想いから、手を掛けてくれる訳です。
 
結果として、どの会社でも必要な事なのでちゃんと教育をしますが、
教育してもらえることが、社会人として当然の権利と言うのは、ちょっと違うかなと。

ましてや、仕事もできないお荷物の新人が、仕事をこなしてきた先輩や上司と同等の立場である訳もなく。
個人主義があったとして、それは先輩や上司にも当てはまる訳で……
同列に並んだなら、結局、新人は新人でしかないのです。

個人の権利を主張するのは自由かと思うのですが、謙虚さと感謝もそれ以上に大事な事ですので、お忘れなく。

今のおっさん達に物申す

逆におっさん側の考え方にも問題があります。
先程書いたように、私達おっさんの時代は、会社にある程度、滅私奉公するのが前提の価値観でした。

ですが、その価値観、冷静に考えれば、今の若い方の仰る通り、割に合わないんです。

そもそも、何でそんな価値観になってしまっていたかと言えば、元を辿ると……
会社が老後までの生活を守ってくれると言う安心感があったからこそなんです。

大企業でないにせよ、福利厚生がしっかりしていて、年金も貯蓄もしっかりできて……
今の生活がこれからも続いていくと言う前提に立てばこその、価値観なのですよ。

しかし、現実は全くそんな事がありませんでした。

どんなに大企業であろうとも、いつ自分の首が切られるか分からない時代になりました。
まぁ、冷静に考えれば、そんな事当たり前なんですけどね! 諸行無常と言う奴です。

そこまでして頑張って尽くしても、最後に、ハイさよならで首切られるのって、馬鹿らしくね?

まぁ、そういう事になりますね。
だから、働き方への意識が、ある意味ビジネスライクな方向に動いていくのも当然かと。

もし、会社の為に働くのが至上の喜びだと感じるおっさんがいたとしても、
会社に尽くし、滅私奉公するのが当然だと思うおっさんがいたとしても、
それは昔の価値観であって、もはや常識ではありません

他の多くの方は、今の時代の流れに乗っ取り、自分の時間を大切にしたいと思っています。
その辺りは、時代の流れをよく見て、上手くすり合わせて行って下さいね。

根底にへばり付く 努力神話とその弊害

私達おっさんの世代は、少年ジャ〇プ的な物語が、多く世に出た時代でした。
その雑誌が掲げていた『友情・努力・勝利』と言うキーワードからも分かる通り、
皆が一丸となって巨悪に立ち向かい、勝利すると言うストーリーが流行った時代です。

そのストーリーが流行った事から分かる通り、おっさん達の世代には、こんな神話が今なお、根強く心の底に根付いています。

努力は裏切らない。
努力した分、幸せになれる。
頑張り続けた先に、勝利がある。

おっさん世代なら、何となくそんな事を漠然と受け入れていませんか?
中には頑なに信じていらっしゃる方もいませんか?

確かに、努力する人の姿は私も好きですし、頑張っている方は応援したくなります。
努力と言う言葉も、その意味する所も、私からすれば、好ましいです。

ですが現実は、努力すれば絶対に報われるかと言われれば、そんな事も無いです。

身も蓋も無い話ですが、現実はそんなに都合よくできてないのは、今生きている皆様が経験されていらっしゃるかと。

努力神話を頑なに信じる人は、人を駄目にする

んなことねぇよ!? と、いきり立つ前に、冷静になって考えて欲しいのですが……。

努力は、ただ我武者羅にすれば良いと言う物ではないのは、周知の事実かと思います。

昔、林先生(今でしょの人)がTVで仰っていた事が、凄く印象に残っているのですが……。
努力が結果に結びつくために必要な事は2つだと仰っておりました。

努力とは、その強度(頑張り具合・時間とか)と、方向性(手段)があるのだと。

その2つが、目的に向かって一直線に重なり合っている時に最大の効率を発揮するわけです。

わかりやすいのが、ベクトルの様に、努力の強度と方向性を表す事ですね。
努力
かなり極端な例ではありますけど、こんな感じで、努力する手段を間違えれば、幾ら頑張っても、結果は出ません。
今回は、あほか!って言う程、わかりやすい例にしましたけど、現実でも、この状況は多々あります。

で、努力しろとか頑張れって言う人に限って、この方向性を示さない人が多いんですよ……。
もっと言えば、頑張って足掻けば、その内、きっと何とかなるとか言い始める人も。

私が少なくない時間を生きて来て、嫌と言う程、思い知りましたが……
どうにもならないものは、なりませんし、努力しても駄目なものは駄目です。
死なない程度に努力したけど死にかけて、何とか今、生存している私からは、そうとしか言えません。

努力だけでどうこう出来る世界なら、今頃、皆希望に満ち溢れている事でしょう。

なので、頑張って駄目なら、ちゃんと別の道を探しましょう
それでも諦められなくて……だけど、どうしても駄目なら、一回立ち止まって休んで下さい

同時に、努力押しをしてしまう人へ。
今一度、その方の努力の方向が合っているか、アドバイスして上げて下さい。
もし、的確に方向性を示せないのであるなら、ちゃんと熟慮したうえで命を預かるつもりで応援して上げて下さい。

無責任に考えなしに「〇〇ちゃんならきっと出来るよ。頑張れ」って言わないで下さい。
言うなら、責任を持って応援して上げて下さい。

じゃないと、その方、戻れなくなってしまいます

きっと、責任感強くて頑張っちゃう人ほど、この呪縛から逃れられないんですよ。

後ろからやれ努力だ、応援してるって言われたら、頑張るしかないじゃないですか。
だって、結果も出せないけど、応援してくれる人がいるんですよ?
その人たちの事を思えば、諦められなくなります。

そうして、自分なりに十分頑張って、それでもダメな時
それでも、後ろから「出来る! 頑張れ!!」って、無責任に言われたら、
その人はどうしたらいいんですか。歯を食いしばって頑張るしかなくなっちゃうじゃないですか。

そして、最終的追い詰められると、その方はこう考えます。

こんなに自分は頑張っているのに結果が出ない。自分はなんて駄目な奴なんだ

皆に応援までしてもらったのに、情けない。もう自分なんて生きる価値無いんだ。

この絶望は、筆舌に尽くしがたい物があります。
そして、その方はこの世をそっと去る訳ですね。
あくまで、最悪のケースを書きましたが、事実、起こり得ることです。

本当に、何をやっても駄目な時は駄目なんです。そういう時もあるんです。
勿論、原因はあるのでしょう。ですが、それをどうにかできるかは、また別問題です。

時の運もありますし、努力や分析ではどうにもならない事も、本当に多々あります。
実は精神的に完全におかしくなっているのに、自覚症状がないって事もあります。

だから今頑張っているけど、うまく行っていない方は、
全てを自分のせいだと、思い悩む必要はありません。

直せるところを修正して、次に望めば良いのだと思います。

心の強い人ほど、人を追い詰める

これ、特に『成功体験者』や、『挫折を味わった事の無い人』、『頭でっかちな人』に凄く多いです。

私、色んな職場を転々とした時期があって、決まって良く言われてた言葉があるんですよ。
まぁ、話の流れ的に、「職、結構、転々としてますね」とか、言うとこうなります。

ちゃんと努力してこなかったお前が悪い

出ました、努力。もう聞き飽きました。
あと、次によく出るのがこれ。

『普通にやってればよかったのに、何で出来なかったの?』

知らんがな。そもそも、普通って何よって言う。

で、この手の方々の特徴として、

皆が当たり前の様に出来る事が、何で君にはできないの?

と言う、残酷な思考が根底にあります。

色々見ていて気が付きましたけど、この考えが日本人の心の奥底に当たり前の様に潜んでます。
あと、普通の枠からはみ出た人を、無意識のうちに下に見る思考を持っています。それもこれが原因。

これが日本の闇その物ではないでしょうか?
これが諸悪の根源であると、私は考えます。

ここでシャレにならないのが、こういう事言う人に限って、本当に分かってないんですよ。

『自分の出来る事は、誰にでもできる』って思ってるんです。
だって、当たり前でしょ? って言うのがその理由だそうです。

だから、『自分の出来る事が、他の人には出来ない事もある』って事に、思い至らないんです。
それで、できない人を見ると、努力が足りない・考えてない・なんでやらないんだ攻撃です。
そして、更に極めつけなのは、普通にできる事ができないのはお前が悪いと言う意識です。

こういう人、本当に多いんですよ……。
きっとそういう方は、幸せな人生を、歩んでいるんだと思います。

まず、前提条件として、普通の人のようにうまく生きていけない人の一人である私なんかは、
何でできないかなんて、わかるなら教えて下さいって言いたいです。

普通という幻想が人を追い詰める

この国の奥底に眠っていて、近づいた物を食らう化け物。

それが、普通と言う名の幻想です。

普通は、学校にちゃんと通って。
普通は、進学して高校・大学に行って。
普通は、企業に正社員として就職して。
普通は、年収を上げていき、結婚して子供を授かって。
普通は、ローンでも良いので、マイホーム買って。
普通は、定年退職して、悠々自適の老後。

書いていて思いましたけど、随分と難易度が高いなぁと思います。
もし仮に、この普通を読んで、当たり前じゃない? と思った方は、凄く恵まれている方だと思います。

実際は、こんな綺麗にレールに乗れる人、そうそういる訳がないです。
今の世だと、よっぽど正しく努力したか、周りに恵まれている方じゃないと、無理ではなかろうか?

まぁ、後、根本的な問題として、いつどこでレールから外れてもおかしくない世の中って事がありますけど。

普通じゃない人に優しくできない日本人

前述しましたけど、日本人の非常に悪い所として、弱い立場の人=普通ではない人への差別と偏見の目が酷いと言うのがあります。

ぶっちゃけ、何故か自分よりも下の立場だとして無意識に扱うんですよね。

それでも、その事を意識で来ていて、自分で気づいている方はまだ良いのです。
自制もできるし、気を付けられるので。

何故か、それを振りかざし、堂々と弱い者いじめするカッコ悪い人がすごく多い。
特に、昔から続く「いじめ」の風習は、本当に情けないの一言です。

悪気がなければ良いとか、子供だからとか、全く情状酌量の理由にならんです。
ちなみに、時々聴く「いじめられる側にも責任がある」とか、失笑すら誘う考えがあります。

いじめられる側に、責任なんて、ある訳ないじゃないですか。
いじめられる理由はあったかもしれませんけど、被害者は被害者です。

そして、いじめる側は加害者です。傍観者も加害者です。
まずは、この意識は定着させないと、延々とこの構図は続いていくでしょう。

また、もし、いじめられる側にも責任があると言う言葉に、
少しでも共感できてしまう人が居れば、それは見事に、普通の呪縛に捕らわれている人です。

いじめる理由がもしあるなら……それは、普通じゃないからです。

レールを外れた普通じゃない人たち

将来の展望に疑いを持たず、ただ愚直に頑張って来た人も、ちょっとしたボタンの掛け違いで、レールから外れる事が多々あります。

私の場合は、就職できた会社が悉くブラック企業だったあげく、変に頑張り過ぎて身体ズタボロにしたとかですけど。

例えば、学校にどうしても馴染めなくて、不登校になった人。
例えば、受験に失敗して、絶望し高校に行けなかった人。
例えば、就職したけど、上手く馴染めず辞めてしまった人。
例えば、頑張り過ぎて体を壊して、働けなくなった人。
例えば、離婚して片親になり、頑張って育児をしながら働く人。
例えば、子供が自立できずニートとなり、懸命にそのサポートをする親。

この世の中には、幾らでも転落の機会がありますし、今、この記事を読んでいる貴方も、既にそうなった方もいるかもしれません。

全て、世の言う普通から遠ざかってしまった人たちです。
この人達に対して、普通と言う名の幻想が、追い打ちをかけるんです。

世の中には、こういう人達に対して、決まって以下のような無責任な言葉を投げつける人が居ます。

自己責任

確かに、普通ではなくなった私達も、落ち度は沢山あったでしょう。
私など、年がら年中、あの時こうすれば良かったとか、後悔だらけです。
だから、自分に責任がある事は、重々承知しております。
だからこそ、歯を食いしばって頑張れるという面もあるのです。

ですけど、一つだけ。

ねぇ、これって、全部、失敗した人の責任なんですか?
世の中のちょっとしたことで躓いて、失敗してしまった事は、一生かけて償わなければいけない程、悪い事なのでしょうか?
賢く、間違えず生きろと、そう言う事ですか? そんな事、本当に可能なのでしょうか。

結構、この問題は考えていたのですが……私はどうしても、その人達だけの責任とは思えないんですよ。

とりあえず普通に拘るのは辞めてみる

とまぁ、嘆いたところで、誰が救ってくれる訳でもありません。
世の中のせいにした所で、何が変わる訳でもありません。

むしろ、それで嘆き続けるよりは、自分を変えてしまった方が遥かに生きやすくなります

残念ながら、この国の大半の人は、普通と言う名の幻想に縛られながら、普通ではない人を見下し生きています。

自業自得だとか、自己責任を語る前に、どうしたらより良くなれるか、アドバイスをくれれば良いんですけどね。

そうすると、何で底辺の人(偏見)を助ける必要があるんだってなるのですが。
挙句の果てには、社会の役に立たないなら、消えて無くなれとまで言われる始末。(実際言われた)

とりあえず、普通から外れた人の大半は、勤勉で真面目な人ですから、
片隅で静かに生きさせてくださいよと言うのが、私の偽らざる気持ちです。

ちなみに、更に真面目な人は、とっくにこの世から旅立っております。

なので、とりあえず、何とかして頑張って、誠実に今を生き抜いている人たちに、この言葉を贈ります。

普通じゃなくていいんじゃない?

普通に拘らなければ、世の中捨てたもんでもないですよ。
最低限の収入さえ確保できれば、楽しい事を摘まみながら、それなりに生きていけます。

非正規雇用?

食べられれば良いじゃないですか。
不安かもしれませんけど、死ぬときは誰でも、ぽっくり逝きます。
逝く前に人に迷惑かけない程度で、楽しい事を少しでもしておけばいいと思います。

結婚?

しなくても良いじゃないですか。
今は子供育てるのも大変ですしね。自分の人生を謳歌する形にシフトしてみては?

登校?

無理に行く必要ないですよ。卒業したいならフリースクールで良いじゃない。
勉強したいなら、学校行くより塾や家庭教師の方が良いですよ。
なんなら、私が教えましょうか? 可愛い女の子限定で(げっへっへ)

それでも、普通に近付きたい人がいるなら、私は止めませんし、応援もします。
ですけど、お身体だけは、本当にご自愛ください。壊れたらもう戻りませんので。

日本の行く末??

あくまで、考え方を変えて楽に生きると言う意味ですが、これを書くと……

ただでさえ少子化なのに、結婚しないとは云々とか。
労働力が足りないのに、非正規にしがみ付いて云々とか。

日本の未来を盾に騒ぐ人が出て来ると思います。

すいません。この国の行く末を憂う方には、本当に申し訳ないのですが……
少なくとも私は、そんな事知ったこっちゃないです

私には残す子供も居ません。
しかも、今を生きるので結構、一杯一杯です。
今更、自分の生活を崩してまで、新しい仕事にチャレンジできる余力は無いです。

何より……世の中が私達を下に見て、完全に放り投げているこの現状を見て、
何でこちらが世の行く末を憂いなきゃいかんのよと。
むしろ今、私達を助けてくれ。

普通ではない人を虐げる世の中なら、そんな世の中に私からできる事はありません。
個人主義、そして自己責任の世の中ですもんね。

だから自己責任を建前に、何も行動しなかった人たち。
自分達で、自分の国の未来の責任を取って下さいね。

良き未来が、貴方にありますように。

とりあえず、今の日本を変えるには

ここで終わっても、私個人としては何の問題も無い……
と言うか、「あー、スッキリした!」で終われるのですが、読んでる方はモヤッとするでしょうし
結論として、まとめたいと思います。

〇 企業は従業員の幸せを第一に考える

とりあえず、今の世の中で一番問題なのは、労働環境と対価の格差です。
対価の大半は賃金で賄えるでしょうし、それが駄目なら労働環境を改善する他ありません。

働いている割に、賃金が低い。
正社員と同じ仕事をしているのに、賃金が低い。
正規・非正規問わず、労働に対しての対価が低すぎるのが問題かと。

そもそも、経済界が、
今迄これで来て何とかなってるし、もうちょっと引っ張れるだろう」とか
アホな考えをしてるから、こんな事になってるんですよ。

とっくの昔にズタボロだよ。今は、張りぼてばかりだよ! 気づけよ!

勿論、古雑巾の様にズタボロになって捨てられた人材は、もう戻って来れません。
いや、気合とか努力とか根性の問題じゃなくて、普通に体が言う事聞かないんですって。
私は、適度に不真面目さが出たので一応生きてますが、真面目な奴は皆、先に逝きましたよ。

それに加えて、社員へ企業側がどれだけ目をかけて大切にしているかの実感が皆無です。
昔から、ていの良い歯車として労働者を見る傾向がありますが、今の時代、これは無しです。

何故なら、労働力不足のこの国において、転職は労働者の持つ圧倒的なアドバンテージだからです。
起業の行く末を担う人材を、留め置けない程、魅力のない所は、これから淘汰されるでしょう。
人材資源の重要性は、昔の比ではないのです。

どれだけ、企業が従業員の幸せを願って行動できるか。これが、最終的な決め手になると思います。

〇 自分が普通から遠ざかった時を想像してみる

今、普通ではない人は、もう色々大変でしょうから良いとして、
順風満帆に今を生きている人は、一回、自分が転落したらどうなるかを考えてみると良いかと。

例えば、病気になって仕事を失ったら。
例えば、伴侶に先立たれてしまったら。

自分はどうなるのだろうかと考えてみると、少しは違った視点が見えて来るのでは無いでしょうか?
それに備える事も出来るでしょうし、悪い事でもないと思います。

何より、そうなった人の事を少しでも理解して抱ければ、
間違っても、自己責任などと、無責任に揶揄する事も無いと思うのです。

皆さんの描く普通は、簡単に失われる程、脆いものと知れば、危機感も出て来るのでは無いでしょうか?

以上、私の闇が噴出した形となりましたが、お読み頂きありがとうございました。
少しでも何かの参考になれば幸いです。